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2016年4月24日日曜日

週末は函館に行ってきた







 この週末は函館に行ってきた。
 先週から、函館美術館で始まった「ひろしま美術館展」を観るのがメインの目的。
 登山仲間のNとも会って食事をしたけれども、何しろ痛風からの病み上がりの身なので(私が)、夜の酒盛り、はできず、昼食に寿司を食べただけ。夏の北アルプス登山の計画を2人であれこれ話し合う。
 ホテルは湯の川の大森浜に向き合うところを取り、夜はひとりで函館山に行く。まだ夜間の自家用車の交通規制はなく、車で山頂まで行くことができた。

 大昔、NHKの深夜放送で、『人生読本』というのをやっていた。そのタイトルが変わり……何て変わったのか忘れたけれども、深夜(というか早朝)の4時5分頃から45分頃まで、毎日誰かが何かの話をしていた。最初の頃は、宗教者の”説教”が多くて、僧侶や牧師なんかが話すことが常だったのだけれども、そのうちいろいろな人が話をするようになり(医者とかテレビディレクターとか)、しまいには「どうでもいい会社の社長とか労働組合幹部とか有象無象の阿呆たち」が話をするようになって、もうその頃には興味はなくなってしまった。(今も続いているけれども、「有象無象がつまらない話」をする時間になっているようである。)
 興味を持った最初のうちは、朝起きて、カセットテープに録音した。90分テープに録音すると、1本で2日分録音することができた。そうやって録音したテープは200本を軽く超えていたと思う。
 そのテープを10本くらい、いつも車に積んでおく。当時はほとんど毎週末に登山に出ていた。登山口に車を駐めて、夜の9時頃から朝の4時か5時頃まで車の中で寝る。当時乗っていたプレサージュは後部座席がフルフラットになり、快適に眠ることができた。そして寝るときにはいつも、そのカセットテープの中の1本を流して、それに耳を傾けるうちに眠ってしまうのである。カセットテープは自動反転するので、寝ているあいだじゅう、ずっと、誰かの声が車の声がしている、ということになる。
 まぁ、話の内容よりも、今思えば、「人の声」が安心感を与えてくれたから、ヒグマとキツネ以外はいないような山奥の真っ暗闇の中でどうにか眠ることができたのだろう。もっとも、アルコールの力があったからこそ、スヤスヤと眠れていたのかもしれないけれども。

 人の声が聴きたいのなら、生放送しているラジオを聴けばいいと思うかもしれないけれども、北海道の山の登山口では、たいていのところで、民放はもちろんのことNHK第一の電波ですらキャッチすることはできないことが殆どである。聴けたとしても雑音で聴いていられない。ラジオを聴きながら眠ることができないので、最初からそうやって録音しておいたテープを車に常に積んでおいて、子守歌代わりに耳にしていたのである。
 そして、そのテープの中に、
「函館大火を語る会」だか、「函館大火を記憶する会」だか、何かそのような名前の組織の人が登場してきて、函館大火について語っていたものがあった。

 もちろん(といっては失礼になるかもしれないが)、私は函館大火に興味があったわけではない。
 恐らく、そのカセットテープに録音された別の話が気に入っていたのだと思う。かといって、函館大火の裏に録音されていたお気に入りの話が何だったのか、今となってはさっぱり思い出せない。ただ、何の話だったにせよ、寝入るときはテープを巻き戻して、そのお気に入りの話に耳を傾けながら寝る。もちろん、途中でぐっすり眠りこんでしまう。しかし、「テープ演奏」はエンドレスである。夜中に反転して、函館大火の話が流れる。そしてふと、うつらうつらした意識の中で、夜中、陰に籠った声が車中に流れる……大勢の人が逃げまどい、炎に包まれ、死んでいった函館大火の物語である。
 函館大火の悲惨な物語を、だから、最初から真剣に聴いたという記憶は、ない。
 意識が中途半端な状態の眠りの中で、大勢の人が焼け死んだ話を耳にしたかすかな記憶がある、といっただけのことである。
 ただ、大森浜で大勢の人が死んだということだけは、耳の底にどうにか残っていた。

 便利な時代である。
 今では、ウィキで函館大火について、簡単な情報は得ることができる。
 以下にウィキより引用する。

函館は江戸時代から栄えた港町であったが、しばしば大火に襲われ、市内の至る場所が火災の被害に遭っており、中でも1934年(昭和9年)3月21日の火災は最大規模となった。
当日、北海道付近を発達中の低気圧が通過し、函館市内は最大瞬間風速39mに及ぶ強風に見舞われていた。早春の日が落ちて間もない18時53分頃、市域のほぼ南端に位置する住吉町で1軒の木造住宅が強風によって半壊し、室内に吹き込んだ風で囲炉裏の火が吹き散らされ、瞬く間に燃え広がった。さらに強風による電線の短絡も重なり、木造家屋が密集する市街地20箇所以上で次々と延焼したため、手が付けられない状態となった。時間の経過とともに風向きは南から南西、そしへ西風へと時計回りに変っていったため火流もそれに従い向きを変え、最終的には市街地の3分の1が焼失する規模となった。死者の中には、橋が焼失した亀田川を渡ろうとして、あるいは市域東側の大森浜へ避難したところ、炎と激浪の挟み撃ちになって逃げ場を失い溺死した者(917名)、また溺死しないまでも凍死した者(217名)もいた。
(引用終わり)


 大森浜は長く続く。函館山の麓にある立待岬から市街地の東側の浜を走り、亀田川河口を過ぎ、湯の川温泉の浜辺まである。迫りくる火の手から逃れようと亀田川を渡ろうとして80年前以上に1100人余りが溺死あるいは凍死した浜は、ホテルから随分と離れてはいる。とはいっても、ほんの4キロほどの距離でしかなく、見通せる場所にある。
 阿鼻叫喚の生き地獄が、確かに、82年と1か月前に、そこにあったのだ。
 1134人が大森浜で死んだ。焼け死んだ人を加えると、総計で2166人が死に、重症者も2300人を超えたという。
 1923年の関東大震災による10万5000人の死者という途方もない数の犠牲者の数の陰に隠れてしまっているけれども、2000人を超える人の命が、たった一軒の家の囲炉裏の火が燃え移ったことで失われてしまったという恐ろしさは、地震被害以上に悲劇的ですらある。

 石川啄木が函館に住んだのは、1907年の夏、4か月ほどである。109年前のこと。
 それからわずか5年後の1912年に、啄木は死んでいる。


しらなみの寄せて騒げる 函館の大森浜に 思ひしことども (啄木)




作成途中

2016年4月22日金曜日

日本製粉 オーマイの阿漕な商売

 今日は夕食を作るのが面倒なので(毎日たいしたものは作ってはいないけれども)、コンビニで買ってきたオーマイ(日本製粉)の

『豚肉と厚揚げのオイスターソース味』

 というものを4分チンして食べる。
 豚肉が多かったら困るな、最近やっと痛風発作から解放されたばかりだし……などと思って袋を開く。
 すると、豚肉は、小さいものが、ひとかけら、だけ。
 写真を撮っておこうかと思ったけれども、そこまでやるのもなんだし、ということで、今後のためにブログにだけ文章をアップしておくことにした。

 日本製粉、オーマイ、は、三井系の企業らしい。
 こんな商売をやっていて、恥ずかしくはないのだろう。

 そういえば、セブンイレブンの冷凍パスタは、ミートソースを除いて4種類あるけれども、その全てが悲しくなるほど不味い。全部、この日本製粉の製品である。
 ミートソースだけは、何故なのかはしらないけれども、日清フーズが作っていて、こちらはマトモ(値段相応)である。
 日本製粉の不味い食品には気を付けようと常々気を配っていたのだけれども、うっかり、オーマイが日本製粉のことだということを忘れていたのである。

 教訓
 もう、日本製粉の商品には手を出さないこと。

PS それにしても、この豚肉と厚揚げのなんたらという商品のパッケージには、「大きな豚肉」が2つ映っている写真が使われているのだけれども、実際はかけらのように小さな豚肉1つとは……三井系企業の恥知らずぶりは三菱自動車なみである。




2016年4月21日木曜日

資料 大島てる

http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/interview/15/238739/042000163/?P=2&ST=smart
大島:一時的には間違った情報が載る可能性があります。ただし、その場合でも遅滞なく削除・訂正される体制になっています。というのも、今では多くの不動産業者や大家さんがこのサイトをチェックしていて、間違った情報があると直ちに指摘してくれるからです。事故物件情報というのはネガティブ情報ですから皆さん敏感で、長期間放置されることはまずありえません。指摘さえすれば削除なり訂正なりしてもらえると皆さん知っていますから、弁護士名の書面などが届くことも今はほとんどないですね。「ウィキペディア」のように“みんなで作っていくサイト”にしたことで、正しさ・詳しさ・漏れのなさ・速さのいずれの点においても大幅に改善されたと考えています。

資産価値維持のため近隣住民が情報提供

マンション名だけでなく部屋番号まで載っているのは驚きです。

大島:分譲マンションの場合、そのマンションの住民からの「自分の部屋じゃない」という情報提供に期待できます。殺人事件などがあった場合、一般メディアでは部屋番号まで報じることはあまりないですよね。でも、マンション名だけが独り歩きしてしまうと、関係ない部屋の持ち主まで風評被害を受けかねません。そこで、関係ない部屋の持ち主が「自分の部屋じゃない」と申告してくる。そうやって情報が集まり、最初はマンション名だけだったのが階数や部屋番号まで補充されていく。一般メディアは配慮のつもりで、事件・事故現場を曖昧に報じているのでしょうが、本来は「何々町の何々マンションのこの部屋で」と言うべきなんです。そうしないと、地域全体が風評被害を受けてしまう。

ただ、ここまで情報が正確かつ詳細だと、事故物件を抱えている不動産業者には相当目障りなサイトでは。サイト自体を閉鎖せよといったクレームはないんですか。

大島:不動産業界関係者の中には、むしろこのサイトを活用している人が多いですね。業界関係者に不満があるとすれば、例えば、事故物件の定義を巡ってです。当サイトでは「殺人」「自殺」「死者を出した火災」などに加えて「孤独死」が発生した不動産を、事故物件と定義しています。でも、業界では「孤独死は事故ではない」という認識が一般的なんです。そのため、「この部屋の元入居者は孤独死で、しかも死後わずか2日で見つかった。事故物件ではないので削除せよ」といった抗議が来る。でも、入居者の立場からすれば「孤独死は事故に非ず」という理屈は通らないと思うんです。そもそも、「すぐ死体が発見されたから事故ではない」と言いますが、なぜ施錠された部屋の中にある死体がすぐ発見されたのか考えてみてください。それだけ酷い悪臭が漏れ出ていたからです。たとえ2日間でも、そのような状態にあった物件が事故物件ではないとは到底言い切れない。これが私の考えです。


大島てる(おおしま・てる)

平成17年9月に事故物件サイト「大島てる」を開設。当初は東京23区のみの事故物件情報を公示していたが、その後徐々に対象エリアを拡大していき、現在では日本全国のみならず外国の事故物件をも対象としている。公式Twitter・Facebook・Lineアカウントがある。著書に『事故物件めぐりをしてきました』(彩図社)。「事故物件ナイト」がロフトプラスワンウエスト(大阪)にて不定期開催中。事故物件サイトには英語版も存在。元BSスカパー!「ALLザップ」特捜部最高顧問。その活動は『ウォール・ストリート・ジャーナル』でも紹介された。


仮面夫婦? 榊原郁恵 渡辺徹





▲:部屋の整理のついでに、もう一冊、女性セブンが出てきた。
 この号を買ったのは、きっと(自分ではもう思い出せないけれども)この渡辺徹に関する記事のためなのだろう。どこか他の雑誌で、もっと詳しく、渡辺徹の節操のない「女漁り」の記事が出ていたと思うけれども……。
 本州を車で旅行しているときには、ラジオを付けて聴きながら運転していることが多い。昼近くのラジオ番組に、
「聖教新聞提供 渡辺徹の家族の時間」
 とかいうタイトルの番組があり、渡辺徹が家族愛の素晴らしさを、視聴者からの手紙をもとにして「熱く語る」というものなのである、けれど……。
 渡辺徹自身がこんな「生き方」をしていて、それで恥ずかしくもなく家族愛を称えているとは。
 そう呆れて、この号の女性セブンを買ったのだった、と記憶している。

 もう一年近く前の記事である。
 榊原郁恵と渡辺徹は、今も、何事も無かったかのように、仮面夫婦を続けているようである。



コリアン・アミューズ







 部屋を整理していたら去年の『女性セブン』が出てきた。こういった週刊誌も、記事の内容によっては買っているのである。この週の記事は、コリアンラブ桑田佳祐の記事だった。
 桑田佳祐というと、私の頭の中では、
『コリアン・アミューズのところのクソガキ』
 と変換される。クソガキぶりが最も良く理解できる記事が、この週の『女性セブン』に掲載されていたので買ったのだろう。

 コリアン・アミューズ(生まれ変わったらコリアンになりたい発言のパフィとか、コリアンが書いた日本人を根拠もなく中傷する『闇の子供たち』をプロデュースした大里洋吉とか、コリアで活動しコリアでのインタビューで「日本は生きづらい社会」と日本の悪口を言いふらしていた上野樹里とか)といえば、稼ぎ頭(?)の福山雅治が大変なことになっているという。


http://tocana.jp/2016/04/post_9548.html
福山雅治が大迷走している3つの理由とタブーとは? 関係者「結婚は問題じゃない」
2016.04.23
 俳優で歌手の福山雅治が3年ぶりの主演ドラマで思わぬ苦戦を強いられている。フジテレビの月9「ラヴソング」は初回が10.6%、2回目が9.1%と大低迷。ネット上では47歳にして、20歳そこそこのヒロインとのラブロマンスを描こうとするイタさや、そのヒロイン役を務める藤原さくらが福山と同じ所属事務所のアミューズであることのゴリ押しぶりなどが揶揄されている。  番組の内容に関係なく視聴者が離れている...(以下略)

 偶然、この番組を少し見たけど、何なのだろうこの「藤原さくら」という全く魅力のない女は。
 シンガーソングライターで演技はできない、ということではなく、顔にも仕草にも雰囲気にも、何から何まで安っぽさしか見てとれない、そこらへんの路地から適当に拾ってきたような感じの女性である。
 こんなのが、いきなり、テレビドラマの主役?
 福山雅治主演するということで、バーター・ごり押しによってフジテレビがこんな



2016年4月20日水曜日

資料 宮川大輔


 こんな噂のある男を「政府広報」に使うというのだから、日本政府のネジの緩み具合は尋常ではない。
 〈 宮川大輔 日本テレビ トイレ 〉 でグーグル検索。
 最高裁認定暴力団密接関連組織吉本興業に怖いものなどないのだろうけれども。







2016年4月18日月曜日

青森 100円温泉 従容として死に就かん

























フェリーの運賃

以下はすべてハイシーズンではない期間の運賃

太平洋フェリー 苫小牧 仙台 26300 (ネット申し込みで1割引なら24000以下)

シルバーフェリー 苫小牧 八戸 25000

新日本海フェリー 小樽 新潟 21500

青函フェリー 函館 青森 14400(10月から5月) 18000(夏)

津軽海峡フェリー 函館 青森 16460

▲:こうしてみると、苫小牧八戸のフェリー運賃が異常に高いことが分かる。つまり、高くてもそれだけ多くの利用者がいるということなのだろう。
 苫小牧八戸のフェリーを随分利用してきたけれども、冷静に考えてみれば、苫小牧仙台のフェリーを利用するほうが余程得である。




2016年4月17日日曜日

市川紗椰の喧嘩目線

http://www.premiumcyzo.com/modules/member/2016/04/post_6644/
ショーンK騒動でミソがついた市川紗椰の『ユアタイム』、起死回生の一手はあるのか?
2016.04.12
 ショーンK騒動のせいでスタート前から何かと話題のフジテレビの『ユアタイム』だが、初回視聴率は4%と低調なスタートとなった。“相方”が降板するなか、メインキャスターの市川紗椰に注目が集まっているが、顔も強張り、読み間違いも多く、スタッフからはダメ出しの連発。早くも番組崩壊の危機を迎えている。
「スキャンダルのせいでショーンKに焦点が当たっていますが、もともと企画段階で先に名前があがっていたのは市川のほう。報道局の肝いりで、まずはネットニュースの『ホウドウキョク』で起用。評判が良かったので『ユアタイム』を任せることになりましたが、例の騒動もあり番組は大コケ状態。担当プロデューサーの責任を問う声もあがり、上層部は頭を抱えています」(フジテレビ局員)
 またフジテレビにとっては市川起用には別の思惑もあったようだ。
「若手の女子アナが育っていないこともあり、カトパン退社後は自局で囲って大々的に売り出す予定でした。噂されている7月の衆参ダブル選挙の目玉キャスターとして起用するプランもありました。コロンビア大学も受かった才女だけに、もう少し大事に育てられたら良かったのですが……。本人があまり気にしていないのが救いです」(前出)
 番組はスタートしたばかり。起死回生の一手に期待したいところだ。

▲:先日、番組をちょっと見たけれども、ほんの数十秒。
 ただただ呆れた。この市川紗椰という女性の「目」に。
 いや、もちろん、慣れないことをやっていて「緊張している」ことは十分に斟酌するとしても……
 喧嘩を売っているとまでは言わないまでも、ともかく、見ていて、こちらを不安にさせるような、視聴者に無意味に挑みかかっているような、見ていてとても不快になる視線を画面から投げつけているのである。
 こんなニュースキャスターはもうその不快な視線だけで失格だろう。
 そんな単純なことにフジテレビは気付かない、のか、気づいていても成り行き上もう仕方ないと諦めているのか。

 宇多田ヒカルもコロンビアに合格して入学したけれども、途中で中退している。コロンビアであれハーヴァードであれ、入学よりも卒業することが大変難しい。合格とか入学とかは意味は、あまりないのである。卒業していたら立派である。しかし、アメリカの大学は入学者の半分以上がドロップアウトすることは珍しくない、どこの大学でも。
 そして、あの目を見ていると、決して一般的な意味でも「頭のいい娘」とは、私にはとても思えない。


PS 宇多田ヒカルといえば、先日、コリアン毎日新聞に和田春樹の写真が掲載されていた―—と思ったら、それは紀里谷和明の写真だった。
 凄いものである。
 和田春樹と今現在の紀里谷和明の写真を見比べてみるといい。
 インディアンとDNAはウソをつかない、ということなのか。
 どこか遠い時代、この2人の先祖は同じ人物だったのかもしれない。







2016年4月16日土曜日

日本国籍東京都知事・舛添要一

 心が・内面が顔に出るということを、これほど的確に人々に教えてくれるのは、この国籍日本の東京都知事以外にはいないのではないだろうか。舛添要一の顔をじっくりと見るといい。
 もっとも、内面の醜さがこれほどあからさまに自分の顔に出ていることに、本人は気づいていないのだろうけれども。



2016年4月15日金曜日

子宮頸がんワクチン 週刊文春 2016年4月14日号








 孫を抱く京大教授の写真は、日本産科婦人科学会のサイトからの引用。
 小西郁生が孫と楽しく日々を過ごしているその同じ時間を、子宮頸がんワクチンによって人生を奪われた少女たちは、こんなふうに生きている。

https://www.youtube.com/watch?v=BGjn1ZOnRiY




週刊文春2016年4月14日号
薬害訴訟へ「子宮頸がんワクチン」
少女を泣かせたのは誰だ
 子宮頚がんワクチンの「副反応」被害を訴える女性たちが3月30日、国と製薬会社2社に対し損害賠償を求めて集団提訴する方針を表明した。記者会見に出席した酒井七海さん(21)はこう悔しさをにじませた。
「たった何ミリかの液体で人生が変わりました。過ぎていった時間は二度と戻ってきません」
 酒井さんは高校一年だった2011年3月にワクチンを接種した翌日夜、入浴後に突然失神したという。
「それ以来、今に至るまで5年間さまざまな症状が出て、苦しんできました」
 頭痛などが続き、脱力感に悩まされてきた。校内で教室が分からなくなったこともあったという。その後も症状は悪化。記憶障害や運動障害などを発症し、現在は車椅子生活を送っている。
「なぜ自分がこのような被害を受けたのか、すぐに適切な治療を受けられなかったのか知りたい。今後同じようなことを繰り返さないでほしい」(同前)
 会見に出席し望月瑠菜さん(17)も真相究明を切望した。
「学生生活でやりたいことが沢山あったのにそれを諦めなければならないことが一番辛い。国や製薬会社、ワクチンを勧めた人たちには責任を取ってほしい」
 望月さんは、児童会長も務める活発な少女だった。それが小学六年で接種した後、しばらくして全身に痛みを覚える。歩行が困難になり、高校では握力が六、七キロにまで低下した。ミミズが這うような文字しか書けなくなったという。
 被害女性たちはみな同様の高次脳機能障害などに悩まされ、解決の糸口を見つけられずにいる。

 製薬会社からの利益供与
 ことの始まりは09年10月、英国資本の製薬会社グラクソ・スミスクライン(GSK)のワクチン「サーバリックス」が日本で承認されたことだった。翌10年には、ワクチン接種の「公費助成」が決まり、多くの自治体で「無料接種」が受けられるようになる。11年には米国資本のMSD社が製造する「ガーダシル」が承認された。
 その背景をジャーナリストの斎藤貴男氏が解説する。
「09年にがん対策における厚労、文科、経産の三大臣会合が開かれ、『迅速な審査』が決まりましたが、経産大臣が入っていることからも、市場開放が目的だったことが分かる。日本独自でワクチンの審査をしないまま承認されました」
 13年には、改正予防接種法が施行され、小6~高1の女性を対象に「定期接種」が始まった。しかし、前後して副反応報告が相次ぎ、わずか75日で厚労省の「副反応検討部会」は「積極勧奨の中止」を決定することになる。
 こうしたワクチン行政の拙速と迷走を引き起こしたのが政治家と専門家だ。
「政界の旗振り役となったのが、松あきら公明党副代表(当時、以下同)です。サーバリックス承認前の08年には早期承認、接種への助成などを舛添要一厚労相に求め、09年6月の決算委員会で『ほとんど副作用がない』とアピールするなど、承認を全面的に後押しした」(政治部記者)
 松氏がワクチンにご執心だったのはなぜか。
 本誌は13年6月27日号で、松氏の夫である弁護士の西川知雄氏がGSKのロビー活動を過去に請け負うなど近しい関係にあったこと、また、GSKと関係が深い自治医科大学附属さいたま医療センターの今野良医師と松氏が創価学会系の雑誌で対談していることなどを報じた。
「その今野医師が実行委員長として主に活動の舞台にしていたのが、『子宮頚がん征圧をめざす専門家会議』です。この会議は、GSK、MSD両社から少なくとも七千万円の寄附を受けており、また、GSKのワクチンマーケティング部の元部長も所属していました。つまり製薬会社から利益供与を受けながらワクチンの推進をしていたのです」(厚労省担当記者)
 さらに今野医師が筆頭著者の共同論文にはGSKの社員二人が名を連ね、同社からは研究費も補助されていた。この今野論文は、ワクチンの有効性を示す論拠の一つとして厚労省の資料に引用されている。
 松、今野面氏に今回の提訴方針について見解を求めたが、松氏は「多忙のため取材はお断りします」と答えるのみで、今野氏は応じることはなかった。
 昨年末にはこんな一幕も。
〈16歳の高校生を利用した「社会運動」は、そろそろ止めたらどうだろう〉
 昨年12月27日、ツイッターでこうつぶやいたのは、当時、東大医科学研究所特任教授(今年3月退任)で、推進派としての発言を続ける上昌広氏だ。
 望月さん親子がワクチン被害の救済を求め署名活動を行なった直後のコメントだった。
 望月さんの母親が憤る。
「娘のことを言われて気持ちが収まらず、〈被害者たちを治してからこういった発言はして欲しい〉という趣旨のことを書き込んだら、ブロックされました」
 上氏に話を聞いた。
「ブロックしたのは、私に対する投稿は沢山来るので。被害者がジョーカーになってしまい、誰も文句が言えなくなった。医学的な話としては議論が進まなくなった。それに(ワクチンの)副反応でなかった場合、その子たちは救済の機会を失う。訴訟に至る前に無過失補償(国、企業側の過失有無にかかわらず、国が補償をする制度)を厚労省がするべきだったと思う」

予防効果はまだ証明されていない
 一方で、被害女性たちを診療してきた学総合研究所東京医科大医西岡久寿樹所長はこう指摘する。
「(被害女性の症状は)新しい病態と捉えるべきです。(推進派は)既存の概念で捉えようとしていますが、症状に謙虚に向き合っていかないといけません。現状ではワクチンに関連した中枢神経系の異常というところまでは言えるでしょう」
 この問題に詳しい医療関係者が言う。
「推進派は世界保健機関(WHO)が『ワクチンは有効』とお墨付きを与えたことを拠り所にしています。しかし、WHOが根拠とする論文の中にも、GSK社員が書いた都合のいい論文などが存在する。
 実は、子宮頬がんワクチンは厚労省のパンフレットに〈子宮頬がんそのものを予防できる効果はまだ証明されていません〉と書いてあるように、効果の立証もされていません。そもそも子宮頸がんは検診をしっかりと受けてさえいれば、ほとんど全てを防げるのです
 今回の訴訟の提起について、製薬会社2社に聞くと、次のように回答した。
「現時点で詳細を承知しておりませんので、コメントは控えさせて頂きます」(GSK)
「無作為臨床試験を含む、圧倒的な科学的エビデンスがあることから、全国子宮頸がんワクチン被害者連絡会のこれまでの主張に根拠はないと信じています」(MSD)
 前出の厚労省担当記者が言う。
「厚労省の副反応検討部会は14年に『接種時の痛みや不安が心身の反応を引き起こした』との見解を表明しています。ただ、この見解に100%の自信があれば『積極勧奨』を再開しているでしょうが、未だに出来ていない。要はなぜこうした事態が起きたか、まだはっきりと分かっていないということです」
 責任の所在なき不条理に泣くのは少女たちである。


▲:子宮頚がんになるのは、普通は40代からである。40代後半から、もっと多いのは50代になってから発症するというのが殆どではなかっただろうか。その年齢になっていれば、「普通は」子供を産む時期を終えている。
 つまり、たとえガンになって「死ぬとしても」(注・そもそも子宮頸がんは検診をしっかりと受けてさえいれば、ほとんど全てを防げるのです)、子供を育てるという喜びを十分に味わってから(孫を抱いている京大産婦人科教授の笑顔が示すように、孫であれ子供であれ、子孫を育てるのは幸福なことである)、そして死んでゆくことができる。
 ところが、子宮頸がんワクチンの副作用で苦しむ女性たちの中には、結婚や出産など望むべくもないような重篤な状態に陥っている患者が多数いる。
 Youtubeで悲惨な状態を見るといい。
 こうした症状に苦しんでいる患者たちを見て(診て)、「気のせい・気のやまい・ストレス・ヒステリー反応・心因反応に過ぎないからね」などと言っている医者たちは、
「根っからのバカ」
 なのかそれとも
「何か別の思惑のある悪党」
 なのか、そのいずれかだろう。

 10年くらい前に、水俣の資料館に行ったことがある。
 そこでは多くの映像が、これでもかこれでもかとばかりに多数公開されていた。そこで見た有機水銀による中枢神経障害と、これらの副作用に苦しむ女性の症状はとても似ている。程度の差こそあれ、同じ中枢神経障害を起こしているのだろう。
 「気のせいだから」とか「心の問題だから」とか言っているだけではたりず、被害を訴え訴訟を起こした患者とその家族に対して、「高校生を利用した社会運動はやめろ」(上昌広)と「上から目線で」吐き捨てる愚劣な医者までいる。しかも、上昌広のウィキには、この「ツィッター事件」が記載されていないという不思議さ。
 実際に苦しんでいる女性たちをまともに見ようとしない医者は、他にも大勢いるだけではなく、残念ながら彼らが「日本の医療界では主流」を占めているようである。

 それにしても、厚労省は薬害エイズ事件のときと同じ過ちを繰り返さないために、ワクチン接種推奨を早期に中止している。当然のことだろう。
 ワクチン接種公費補助に踏み切った当時の厚生大臣は舛添要一か。
 そして公明党副代表・松あきら。
 あれ、舛添の奥さんって……


PS 松あきらとピロリ菌除菌保険適用とか

PS  子宮頸がんの予防には2つの方法がある。
 一つは、ワクチンを打つこと。しかしそれによって1年365日痛みと不随意運動で通常の生活がまったくできなくなる不幸に陥る可能性を引き受けなければならない。
 もう一つは、毎年検診を受けてがんを予防すること。この方法だた、Youtubeにアップされているような悲惨な副作用に一生涯苦しめられるというような危険はない、安全な道である。
 これら2つの選択肢を、産婦人科医は患者に示す「最低限の倫理」があるはずなのだが、日本産科婦人科学会のホームページにはそれらの倫理も常識も見つけることは、残念ながらできないようである。












日本人がどうなろうと知ったこっちゃないのだろう 福島瑞穂 枝野幸男



熊本地震で「やらかしてしまった」政党・議員ら 配慮欠く内容ツイートして続々「大炎上」
2016/4/15 18:41JCAST
   民進党のツイートが非難を浴びて謝罪に追い込まれるなど、政党や議員のネット発言が次々に炎上している。熊本の地震で大きな被害が出ているのに、真剣に向き合っていないというのだ。
   「東日本大震災時の自民党のような対応を望みます」。きっかけは、民進党の公式ツイッターに、こんな要望が寄せられたことだ。

民進党は「自民議員がデマ」と発言して謝罪
   2016年4月15日未明、民進党ではすかさず、「それじゃあダメでしょうね」と反応した。さらに、別の人から何がダメなのか聞かれ、どの党の議員も頑張っていたのに自民党の手柄のように宣伝していたからだと答えた。これに対し、自民党も政局抜きで災害時協力をしていたとの指摘が出ると、こう反論した。
「多くの議員が与野党なく災害対応に協力した中で、一部の自民党の有力議員が原発対応についてデマを流して政権の足を引っ張ったのも有名な話です」
   この発言には、ツイッター上で強い反発の声が上がった。
   「政争してる場合じゃない。震災だぞ」「本当にツイッター不慣れなんですね」などと指摘され、民進党の中核となった旧民主党のゆるキャラ、民主くんも、「一般の方々の声は真摯に受け止めるべき」「足を引っ張るのことをしないでほしい」と言う始末だった。さらに、同じ民進党の玉木雄一郎衆院議員からも、「言い争いをしている場合ではありません」と注意され、民進党ツイッターは、その通りだとして謝罪に追い込まれた。
   一連のツイートはすべて削除され、民進党では、「担当者の私見の入った不適切なツィート」だったとして、「今後は公式な情報提供につとめてまいります」とツイッターで書いている。
   枝野幸男幹事長は、記者団にこのことを聞かれ、「党の見解ではない。個人の見解を職員が書き込んだ」として、この職員には厳しく対応すると述べた。
職員だけに責任を押し付けている?

   「自民議員のデマ」とは何かについて、ネット上では、安倍晋三首相が震災時のメルマガで、当時の菅直人首相が原発事故で海水注入を止めるよう指示したと指摘したことではないかと推測されている。しかし、菅氏は、安倍首相を相手に起こした名誉棄損訴訟で敗訴しており、デマとまで言えるのかと疑問の声が出ていた。
   また、枝野幸男幹事長がツイートを個人の見解と説明したことについても、民進党が発信していたのに職員のせいだけにするのかと批判が出ている。
   民進党の広報担当者は、取材に対し、自民議員のデマとは安倍首相のメルマガを指しているかについて、「事実関係を踏まえておらず、何を言っているのかよく分かりません。根拠もなく、誹謗中傷しているだけの可能性もあります」と答えた。枝野幹事長は職員だけに責任を押し付けているとの批判には、「党の公式見解ではありませんので、それは違います」と言っている。
   今回の地震を巡っては、政治家のツイートにも厳しい目を向けられている。
   社民党の福島瑞穂副党首は、地震発生後に母親の集会に参加して「ハッピー!」とツイートして、批判を浴びた。また、大阪維新の会の松井一郎代表も、街頭演説会の日程を載せたことで、さらに、安倍首相も、原発の防護服を着た写真を紹介したことで、それぞれやり玉に挙げられている。しばらくして、炎上に気づいたのか、被災者へのお見舞いの言葉を書き込むなどしていた。

池内沙織 安らかな場所



2016.4.15 12:59 産経新聞
【熊本震度7】
共産・池内沙織氏が「安らかな場所にいてください」と投稿→後に削除 「原発止めよ。正気の沙汰か!」とも
 共産党の池内沙織衆院議員が14日に熊本県で発生した最大震度7の地震に関連し、自身のツイッターで「川内原発今すぐ止めよ。正気の沙汰か! 二度と動かさず廃炉にせよ」などと投稿した。現在は閲覧できない状態で、削除したとみられる。

 池内氏は14日夜に投稿した同じツイッターで「まさに今、地震がおこり人々が避難している。今も大きな余震が続く。何より、命からがら逃れた人たちの不安をこれ以上増やさないでください。停止せよ!」と続けた。熊本県の隣に位置する鹿児島県薩摩川内市で稼働中の九州電力川内原発の「廃炉」を求めた形だ。薩摩川内市は震度4で、原発は安全が確認されている。

 池内氏は別の投稿で「熊本のみなさん、九州のみなさん、安らかな場所にいてください。どうか皆さんご無事でいてください」とも書き込んだ。

 池内氏は昨年1月、イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」(IS)が日本人男性を殺害したとする映像をインターネットで公開した際にも、ツイッターに「『ゴンゴドウダン』などと、壊れたテープレコーダーの様に繰り返し、国の内外で命を軽んじ続ける安倍政権。安倍政権の存続こそ、言語道断。本当に悲しく、やりきれない夜。眠れない」と投稿し、安倍晋三政権の退陣を要求。後に削除し、謝罪していた。

▲:こんな日本語の間違い、小学生でもしないだろう。
 つまり、池内沙織は、まともに日本語が使えない。
 つまり、池内沙織は、日本語をまともに学ぶつもりがない。
 もし彼女が、国籍は日本であったとしても(舛添要一のように)、日系日本人ではなかったとしたら、この女のやってきた政治活動の全ての意味が理解できるような気がする。

 とりあえずパヨチン志位和夫は、手下の「国籍だけは日本人」という議員を集めて、「安全な場所」と「安らかな場所」の違いを含めて基本的な日本語の再教育を早急に実施すべきではないだろうか。
 池内沙織のような唖然とするような日本語のつかい間違いをしていると、日本国民にその素性を疑われてしまい、日本共産党が実はとても危険な組織であることが知られてしまうだろうから。











2016年4月14日木曜日

お笑い、というより、お通夜 日本外科学会 桑野博行

桑野・群馬大教授、投票で外科学会の次期会頭に
2016年04月14日 12時49分 読売新聞
 群馬大学病院で手術後に患者の死亡が相次いだ問題で、日本外科学会は13日、大阪市内で開いた会合で、来年の学術集会を開催する会頭に桑野博行・同大消化管外科教授(旧第一外科教授)の就任を決めた。
 就任は内定していたが、手術死の問題を受けて反対の声が上がったため投票が行われ、就任に賛成する票が反対票を上回った。
 学術集会は、同学会が年1回開く最大の研究発表の場。集会を取り仕切る会頭には有力な教授が就任する。桑野教授の就任は同大病院の問題が発覚した2014年11月には内定していた。しかし、手術死の問題や、過去に第一外科で行われた生体肝移植の医療ミスなどを理由に、主要大の名誉教授10人が昨年12月、反対の意見書を同学会理事長に提出していた。

▲:日本外科学会は自分たちの組織の葬式を出したほうがいい。
 主要大学の名誉教授10人が少しは良識を示したようだけれども、名誉教授というのは「しがらみ」から解放された後期高齢老人である。現職の教授や学会の幹部たちが、こんな医療をやっていた大学医学部外科の「首領」を学会のトップに据えて会議を開くとは……。恥知らずもいいところである。




2016年4月13日水曜日

墓活 赤瀬川原平

 毎日新聞で読んだ、「男の気持ち」を引用。

男の気持ち
最後の待合場所 埼玉県志木市・中島武夫(無職・86歳)
毎日新聞2016年4月12日
 妻が末期の悪性リンパ腫から生還し、老老介護を始めました。でも私が食道がんを発症。老老介護は無理となり、妻を特養ホームにお願いしました。
 私は1日おきに妻を訪ねましたが、がんは食道から大腸へと転移。大腸の手術は成功だったものの肝臓と肺への転移が発覚しました。数種の抗がん剤は効果なく、主治医からさじを投げられました。ソーシャルワーカーから緩和ケア病棟を紹介され、病状が悪化した時に入院する手はずを整えました。
 心配だった妻が特養に入居できて安心と思ったとたんに私にがんが回ってきました。しばらくはタクシーに乗って妻を見舞いましたが、最近はそれもかなわず、私の病状を妻に知らせるべきか迷っています。
 1991年、退職金で墓を造りました。高台で眺めが良く、ゆったりと永眠できる武蔵嵐山の公園墓地です。学校の後輩である郷里の菩提(ぼだい)寺の住職に生前戒名をいただき、墓誌に赤字で刻みました。草取りの労力を省くため、御影(みかげ)石を敷き詰めました。
 1年に2、3度、墓地を訪れましたが私たち夫婦はその都度「ここが最後の待合場所」と確かめ合いました。どちらが先か後か分かりませんが、必ず一緒になるので待つと約束しています。悲しませないために見送ってやりたいと思っていますが、どうなるでしょうか。
 <中島さんは3月23日に旅立たれました。入院前に投稿された絶筆をご遺族の了解のうえで掲載しました>


 最後の待ち合わせ場所、最後のデート、永遠のデート、ということか。
 86歳という高齢になるまで、奥さんと時を共有できたのは、とても幸せなことだろう。
 墓、といえば、最近、赤瀬川原平の本を読んで、その中に不思議な墓の話があった。
 茅野市でのことである。

「墓活」論 赤瀬川原平 (2012年)
P58~
 その後(諏訪神社の御柱祭を見物した後)仲間で手分けして、茅野の町の路上観察をした。
 地元の人が一人ずつ案内でついてくれた。
 ぼくと歩いたのはKさん。
 都市とは違い、回る所がどこも土臭い。
 土臭いし、石臭い。
 畠の道には、古い石の遺物がたくさん立っている。
 道祖神だったり、お地蔵さんだったり、そのお地蔵さんも馬に乗っていたり、立膝をついていたり、どこか珍しい。
 Kさんに導かれて、村の小さな広場に行った。
 広場の何かはんぱな位置に、妙な形の石造りの台がある。
 葬儀のときの葬列がこの広場をぐるりと回って、柩をいったんその石の上に置いて、それからまた火葬場の方に行くらしい。
 何故だかはわからぬが、昔からのしきたりでそうなっている。
 たぶんこの地の神への報告ではないだろうか。
 そんな場所を見るにつけ、この土地は原始の神と太いトンネルで繋がっている、という感を強くした。
 そもそも御社というのが、神の原始そのものだ。
 ただの土手の景色と思ったが、人の頭ほどの、あるいは子供の体ほどの石ころ群
が、置き方は乱雑ではあっても、ただの乱雑とは違う。
 何かしら、それらの石が沈黙を抱えているという感じなのだ。
 それが大昔の墓の群だった。
 いまでは人の名はもちろん、時代もまったくわからないが、大昔の墓石群だということだけは伝承されている。
 その土手の隣の方には、少し新しい石の群があった。
 小径をはさんで、そちらの方にはどことなく人の気配がする。
 そこからがいま使われている墓地らしい。
 Kさんはそのうちの数個の石を指して、この辺がうちの墓だと、こともなげにいう。
 え!? と驚いた。
 やはりほかと同じく、人の頭ほどの石がごろごろとあるだけ。
 区画も何もされていない。
Kさんはそれらの石を指しながら、これがうちの爺さん、この石はこの間死んだ弟……。
 もう一度見るが、ただの石ころだ。
 その表にも脇にも文字は何もない。
 でも最近は、名前を書く人もいるよ……。
 わからなくなるから……。
 そういわれて周りを見ると、石ころの表面に「晴子」と、それもペンキでただ記していたりする。
 よく見ると、脇に簡単な花びんを置いた石もあり、中には卒塔婆を一本だけ立てた石もある。
 でもだいたいはただの石ころで、それらが、ただ土手の斜面にばらばらと、無作為に広がっている。
 土手のその先には、石ころの群に交じって今ふうの三役重ねの墓石がぽつぽつとあり、もう一つ小径をはさんだその先は、その今ふうの墓だけがぎっしり並ぶ、いわゆる墓地になっていた。
 古代から現代までの、見事なグラデーション。
 とはいえ現代のKさんも、ただの石ころだけの、古代の中にいる。
 このあまりのアバウトな感覚に、しばらく考えてしまった。
 その場所に勝手に置いた石ころを、一族の記憶だけで墓石としている。
 ペンキで名を記したとしても、いずれは消える。
 かすかに残るのは記憶だけで、正に文字のない伝承だけの世界だ。
 たしかに、これでいいはずなのだ。
 人生は一つ一つこの世に生れ出て、一つ一つ消えていく。
 墓が残るとしても、それはしばしの間で、いずれは消える。
 何という真実。
 そうは思ったものの、しかし現実、墓活ははじまるのである。


作成途中

屋根裏から出てきたカラヴァッジョ

016.4.13 10:12 産経新聞
フランスの民家屋根裏に150億円絵画、カラバッジョか
 フランス南部トゥールーズ郊外の民家で屋根裏から見つかった古い絵画を専門家が鑑定したところ、17世紀初頭にイタリアの画家カラバッジョが描いた傑作とみられることが分かった。価格は推定1億2千万ユーロ(約150億円)。仏メディアが12日報じた。
 作品はカラバッジョの代表作ともいわれる「ホロフェルネスの首を斬るユディット」と同じ題材。複数の鑑定家に意見を求め、エックス線検査なども駆使して年代を特定した。
 フランス文化省も真作の可能性が高いとみており、政府買い取りの可否を決めるため、絵画の国外持ち出しを30カ月間、禁止する措置を取った。
 民家の持ち主は2014年4月、天井の水漏れを直そうと屋根裏を点検中、薄汚れた絵画を見つけた。絵は少なくとも150年にわたり、誰の目にも触れていなかったという。(共同)

2016年4月12日火曜日

現代アート 三潴末雄 『アートにとって価値とは何か』

『アートにとって価値とは何か』三瀦末雄(2014)

P22
 わたしは、まだ海外のマーケットでも日本国内の権威体制の中でも、正当な位置づけを与えられていない日本人アーティストたちの作品を一堂に集め、一つの大きな塊として世界に知らしめていくことが重要だと思っている。
 そういう試みの一つとして率先して行われたのが、日本屈指の現代アートコレクターである精神科医の高橋龍太郎が2008年に企画(キュレーターは内田真由美、児島やょい)した「ネオテニー・ジャパン―高橋コレクション」展だった。1990年代後半から主だった作家たちの作品を網羅的に蒐集してきた氏が注目する作家を選んだこの展覧会は、明確なテーマ性には乏しかったが、個人のコレクション展とは思えないほど多彩でクオリティの高い作品群が、大きな潮流として呈示される機会になった。
 この展覧会が、鹿児島県の霧島アートの森を皮切りに、全国の地方美術館を巡回したことで、欧米アートのコンテキストに乗った作家や、旧態依然とした日本画の作法に乗った作家しか認めなかった国内の美術館の企画展の風潮に対して、大きな一石が投じられたと思う。

▲:去年の秋、東北を旅行したときに、十和田市の現代美術館で高橋龍太郎コレクション展をやっていたけれども、見なかった。札幌に来たときに見ていて、そのくだらなさに呆れた。それでも後で「感想」を書くために図録だけは買っておいたけれども。
 高橋龍太郎はどこかの私立医大を出た精神科医で、時々、ラジオの人生相談の「回答者」として登場するのだけれども、その話しぶり話しの内容の「投げやりさかげん」にはいつも呆れる。きっと金持ちのボンボンで、人の悩みに寄り添うよりも、現代美術品(という名のゴミ)を集める方が楽しいのだろう、といった印象を与えるような回答である。


P30~
 明治末期から大正にかけて日本に消費社会が登場した際、大衆が初めて体験する近代的な展示空間である百貨店が、芸術文化の啓蒙・浸透に果たした役割には絶大なものがあった。特に1911年に美術部が創設された高島屋では、竹内栖鳳をはじめ近代日本画の先駆的な巨匠たちを取り上げてきた伝統がある。だから日本的なルーツ性を意識したジパング展の作家たちの魅力を伝える企画展には、会場として百貨店が馴染みやすいと考えた。
 加えてコマーシャルギャラリーの主人としては、地方都市ではまだデパート信仰が根強い点にも注目した。東京では、郊外や都心再開発型のショッピングモール等に押されて百貨店の凋落の印象が強いが、地方の富裕層にはデパートの外商の薦めで美術品などを購入する人々がいまだに大勢いる。
 そうした主旨に、高島屋側も理解を示してくれた。ジパング展は3月11日の震災のあと、6月から東京、大阪、京都の3店舗で開催されることになった。
 その際にわたしは高島屋にお願いして、外商のスタッフを集めてもらった。日本と世界の現代アートがどういうものかというレクチャーをするためだった。デパートの外商は日本最強クラスのセールスマンで、例えば顧客の邸宅に上がり、床の間に実際に絵を飾って売るといったような販売能力を持っている。そんな彼らにセールスの言葉を与えて、現代アートをメニューの一つに加えてもらえれば、マーケットの拡大につながるのではないかと思った。実は外商に作品の魅力をインプットするやり方は、日本画家の千住博が三越などで行っていた先行例があったので、それに倣ってみたのだ。
 東京では会期中に外商の人々を50~60名ほど集めて話をしたのだが、その最中にまだ余震で震度4くらいの揺れが来るような時期だったので、どうにも雰囲気は重かったように思う。ただ、そこで外商の人から聞いた話によると、3・11後の5月ごろ、ホテルでリッチな顧客に向けてのフェアを聞催したところ、宝石をはじめいろいろな高額商品が意外と売れたという。逆に震災がショックになって、「お金なんか持っていても仕方がない」という意識につながったのかもしれないと、その人は分析していた。
 ともあれ、こうしてジパング展で3都市のデパートを巡ってみると、面白いことに気づいた。それは、デパートでの美術展では、タダ券で来る人が多いのに対して、現代アート展にはお金を払って来る人が多かったということ。その中でも一番多かったのが、学生料金で入ってくる大学生や高校生だった。しかも、彼らのような若い人々はデパートに来たことがなく、ジパング展が聞かれて初めて日本橋の高島屋に足を踏み入れたというのだ。
 その一方で、デパート側の案内で来たような大人の来場者からの「意外と現代アートも面白いね」という感想もあり、東京での反応は上々だった。

▲:現代美術のギャラリストの実践営業ノウハウの一端。くだらない作品を量産する千住博がこの手を使っていたということ。


P46~
 ただ、いわゆる古典に対する向き合い方として、日本画家の加山又造が、今の若い作家たちにも通じる非常に示唆的な言葉を残している。すなわち、「伝統とは継承するものではなく、自由に対象化するものだ。だからこそ作家は古典の持っている前衛性なり精神性を現代に蘇らせることができるのだ」と。
 これはちょうど、会田誠がよく口にする「困ったときの古典頼み」という言葉にも通じているように思う。彼はあくまで自分の表現のための見立てとして古典の形式を借りてくるだけだと言うのだが、加山の言葉にあるように、これによって何かが蘇っているはずである。
 こうした日本のアートのコアにあるのは、「はじめに言葉ありき」で始まる一神教の世界とは違って、自然界の微妙で曖昧な変化に感性を研ぎ澄ませるアニミズム的な感覚だから、本質的に言語化には適さない部分を持っている。だが、海外のアートシーンでは、必ず作品の解釈や位置づけについて言葉で疑問が寄せられ、なぜそうなっているのかを明確に答えていかなければならない。
 もちろん、これまで浅田彰や東浩紀といった批評や哲学の畑から人材が登場し、岡崎乾二郎や村上隆らについて、それぞれのやり方で理論化してきた系譜もある。しかし、そういう動きが美術の内側からは一向に出てきていないということは、寂しいかぎりだ。
 わたしはギャラリストとして、感覚的に気づいたことしか言えないが、こうした日本アートに通底する原理のようなものを、若い世代の思想家なり美学者なりに、ぜひ英語圈にも通じる言葉で言語化してほしいと切に願っている。

現代アートの支援体制をいかにつくるか
 だから、わたし自身としては、現代アートが他の文化ジャンルや日本社会との関係の中で、そういう本来あるべき価値の破壊的創造の役割を果たしていけるよう、パブリックな支援体制を築いていくべきだと考えている。
 海外のアートマーケットとの圧倒的な質的・量的な差がある中で、現状のように個々のギャラリーが細々と作品を売っていくだけでは、一向に状況は変わらない。そこで、役人と折衝できる現代美術の公的な協会のような組織があれば、効果的な支援の受け皿になりえるはずだ。
 例えば、海外の大規模アートフェアに15軒ほどのギャラリーが出ていくようなケースで、それぞれのギャラリーの立場では支援できなくとも、協会がまとめるプロジェクトという枠組みになれば、クールジャパン予算の一部を充てるということもできるようになるだろう。
 とにかくアートの世界は、何か当たるかわからないポップカルチャーの世界に比べて、海外での権威の序列や評価のコンテキストがはっきりしているので、文化政策としての投資効果は得やすいはずだ。
 また、消費税がアップしたが、手をこまねいて放置しておけば、単価の高いアートの世界は大打撃を被ることになるだろう。ただでさえ小さいマーケット規模が、さらに萎縮して、ますます国際競争力が落ちて、日本のアート界は厳しくなる。この活性化を求め、相続や贈与に関する税制改革の面などでも、すでにあれこれの働きかけが始まっているが、協会組織を形成して、より効果的なロビイングができる体制をつくりたいものだ。

▲:加山又造の「長いだけの例の作品」(出来は三流でもともかく長い)を彷彿させるのが、村上隆の五百羅漢。



P92~
 このようにコレクターから出発して現代アートの世界に踏み込んでいく中で、わたしに様々な指南をしてくれたのが、同志社出身の作家である黒田アキと、彼の学生時代からの友人であるギャラリストの神野公男だった。
 同志社は関西ブント系が強かった大学なので、黒田や神野とは、その方面のネットワークを通じて知り合った。
 黒田アキは、70年代のはじめにパリに渡り、フランスきっての現代美術の名門ギャラリーであるマーグ・ギャラリーの契約作家としてデビュー。当地での初めての個展では「東洋のマチス」と呼ばれるほどの評価を獲得し、日本人の現代作家としては希有な活躍を見せていく。
 黒田のコレクターでもあった神野公男は、名古屋の現代美術シーンの草創期を彩ったギャラリーたかぎに勤めていて、のちの92年に自身のギャラリーHAMを開廊。草間彌生の展覧会などを開催し、90年代に彼女が再評価されていく流れの端緒をつくった一人にもなっている。
 この両者から、コレクションにあたってのギャラリーの紹介やマーケットヘのアクセス方法など、多くの人脈やノウハウを得ることができたのは大きかった。
 黒田が渡仏する前は、ちょうどステーション70がライブスペースの実験からPR誌の制作に移行する時期だったので、彼にデザィナーをやらないかと声をかけたこともあった。もしわたしが、もうすこし強引に引っ張っていたら、今頃は作家ではなく、電通あたりの重鎮アートディレクターになっていたかもしれないと思う。
 そして彼が「東洋のマチス」と称えられる作家になったことは、のちにわたしが自分自身のアートヘの問題意識を深めていく上で、とても重要な示唆を与えてくれた。当時はそれが褒め言葉だと思っていたのだが、別のところで述べたように、実は違った意味で用いられた言葉であった。そこから、わたしは欧米作家の基準を踏まえないアートの在り方を目指したいという思いを抱くようになる。
 その思いを強く自覚するのはもうすこし先のことだが、わたしはいよいよ自分のギャラリーを立ち上げるべく、友人に事務所の経営を委託して、86年に40歳で英国にホームステイした。ギャラリストになる上では、やはり英語力が必要だと思ったからだ。
 そこでなんとか“親父イングリッシュ”を身につけながら、メイヤー・ローワン・ギャラリーというロンドンの画廊と仲良くなって、英国の現代アートについて学んだ。画廊主のアレックス・グレゴリー=フード翁は貴族の末裔で、週末になるといつもわたしをホームステイ先に車で迎えに末て、彼のロックスレイにあるお城のような館に連れていってくれた。

▲:三潴は成城大学の学生運動で活躍。ブントなのだろう。同志社のブントとも繋がる。
 同志社で学生運動といえば、佐藤優。ブントだったのだろうか。この男が外務省に潜り込めたのも、東大ブントの活動家・加藤紘一がいたからか? というより、外務省が新左翼の拠点になっていたのだろう。なにしろ、外務省の「親分」は、アメリカ民主党・国務省なのだから。かつての左翼ヒラリー・クリントンが、金融資本の絶大なバックアップを受けてアメリカ大統領になりそうなのも、左翼というものが実は金融資本の手先である、ということを知れば、理解できる。
 佐藤優が、三井の岩波書店に盤踞している事情も理解できる。


P101~
 銀座には、東京画廊や南天子画廊をはじめとして、その系譜を踏んだ佐谷画廊や西村画廊があり、さらにその周辺にたくさんの小さな貸しギャラリーがあった。銀座に来るアートファンたちには、その小さなスペースをグルグル回っていくという文化が確立されていた。そうした中、現代アートでデビューするなら、その銀座のローカルな世界に適応しなければ、という空気が東京には存在していた。
 そういうシーンが、わたしには不毛に感じられてならなかった。それぞれの個々のギャラリーでデビューする作家や展覧会の企画が、必ずしも不毛だと言いたいのではない。そうではなく、銀座に象徴されるマーケット全体の釣堀みたいな構造では、世界に向けてオリジナリティのある作家を輩出できるようになっていないのではないかということだ。
 バブルに至る美術シーン全体を見渡せば、80年代の好況期までに、最初に一県一美術館運動のようなかたちで、ほとんどの都道府県に近代美術館が生まれ、さらに県庁所在地には市の美術館ができるという、文化を標榜したハコモノ公共事業の流れがあった。そうなると各美術館には作品購入予算がつくので、そこに銀座あたりのギャラリーを中心に、みんなが群がり、白分たちの作家を売り込むという構造があったのだ。こういう公共事業予算頼みの擬似マーケットの中で「○○先生は○○美術館がコレクションしたよ」という話が公然と銀座のギャラリーでは語られていて、その評価軸で値付けがなされるという、マーケットとして非常に歪んだ形態になっていた。
 もっとひどい状態になると、美術館の公共工事で、ハコモノを建てると、判で押したようにその予算のうちの1%程度は野外彫刻のようなモニュメントに充てられた。それに過剰適応してパブリックアート専門の作家が生まれるようになる。そんな擬似マーケットが、バブル期にはまかり通っていたのだ。これでは世界のマーケットで評価される作家が育つはずがない。
 実際、2000年代になってから、バブル期に高い値段で日本の現代アート作品を買っていた医者の方が亡くなり、その相続時にコレクションを売りたいという相談を受けた。しかし、蒐集された作家たちは、ほとんどが学校の先生になっていたりして現役感を失い、作品はオークションに出しても値段がつかないようなものぼかりだった。まさに、バブル時代のつわものどもが夢の跡、といった無残な有り様だった。
 その一方では、先述のセゾンを中心とした流通・広告資本と密接に結びついた、もっとカジュアルな民間メセナによるアートマーケットの世界が、新興勢力として勃興していた。PRの世界からアート入りしたわたし自身の出自も、こちらに近いと言えば近いだろう。しかし、セゾン文化圏の欧米に対するコンプレックスが丸出しになった雰囲気には、どうにも肌にあわないものがあった。
 そうなると、銀座的で官におもねる擬似マーケットではない、池袋や渋谷で展開されたセゾン的な大企業主導のコンプレックス・マーケットでもない、わが道をゆくしかなかった。既存の国内マーケットには背を向けることになるが、簡単には売れなくとも、とにかくわたし自身が面白いと思える作家や作品ありき、で勝負したかった。そんな思いで、わたしは青山でギャラリーを開いたのである。

青山ギャラリー時代の苦戦
 ミヅマギャラリーの開廊は、まさにバブル崩壊の直後にあたり、アートをめぐる環境はますますひどい状態に陥っていた。金融政策の失敗で大手の証券会社や銀行がバタバタ潰れる中で、本当に作品が売れない時代になっていったのだ。当時のアート関係者なら誰もが経験している苦労だが、わたしもまたPR関係の仕事の上がりを注ぎ込むなどして、カネの回らない時代のギャラリーを必死に支える日々が続いた。
 青山という立地は、今でこそいかにもバブリーな高級物件というイメージだが、バブル崩壊後の骨董通りには、真新しいビルが建ち並んでいるものの、1階のテナントはほとんどがガラ空きで、見るも無残な状況だった。

▲:実は、現代アートという名の日本のゴミが、「公共事業」によって、つまりは「税金」によって続いているのだという事実。その最も顕著な例が、青森県立美術館。


P145~
アートとマーケットを結ぶギャラリストの課題
 このように、わたしは四半世紀のギャラリスト稼業を通じて、市場の欲望と作家の表現との間に常に発生する本質的な緊張関係を媒介してゆく仕事を続けてきた。
 敗戦で日本人の圧倒的多数が貧しかったときは、市場や国家の存在そのものを悪玉視して、反体制のスタンスをとりさえすれば、それがカウンターカルチャーとしての前衛芸術の大きな価値基準になりえた。しかし高度成長が達成され、マルクス主義の限界も明らかになって誰もが市場経済の恩恵を否定できなくなると、アートがアートとしての独自の価値を確立するのは難しくなる。
 ただし、いくら経済的に豊かになっても、西欧が世界中に輸出した文明そのものに内在する矛盾や、人間が生きるかぎりどうしても起こる社会との鮭鮪が尽きることはない。そういう、かえって見えづらくなった問題なり違和感なりを、消費社会のただ中で挟り出して表現するのが、現代アートというジャンルのそもそもの存在意義なのだろう。
 ますます世界を覆いつつあるグローバル資本主義の最先端で、巨万の富を左右する富豪たちが、食うや食わすの生活を送る作家たちの作品を目の飛び出るような金額で取り引きするのは、単なる金融的な財としてだけでなく、彼らの表現を通じてマーケットの論理に使役される自分たちの精神のバランスをとろうとしているからなのかもしれない。
 とはいえ、消費社会の在り方を相対化するはずの現代アート作品そのものも、需要と供給をめぐる市場原理に従う一商品に過ぎないという宿命からは逃れられない。とりわけ00年代以降の欧米のアートマーケットでは、成功する作家のほとんどは、作品の量を供給できる工房型の作家になっている。ダミアン・ハーストにせよ、ジェフ・クーンズにせよ、村上隆にせよ、同じ作家の作品が世界各地で大量に売られるようになることで認知度が高まり、さらに需要を喚起していく流れが顕著になってきた。
 これはある部分ではルネサンス期のような工房型の芸術制作のスタイルに回帰していると言えるのかもしれないが、ミヅマ所属のアーティストたちのような職人芸を駆使したスタンドアローン型の作家にとっては、マーケットで生き残りづらい厳しい時代環境だ。それぞれの作家の創作スタイルと市場の趨勢のギャップをいかに埋めるかは、我々ギャラリストの永遠の課題として、ますます大きくなっている。
 もう一方の課題として、ネットを中心としたオープンな情報メディア環境の変化を、いかにうまく活用できるかということも現在のギャラリストの死活問題だ。
 例えばアソディ・ウォーホルとジャスパー・ジョーンズを比べたとき、彼らがアートの歴史に登場した時点ではさほど遜色がなかったのに、現代のネット社会で名前を検索すると、圧倒的にウォーホルの方が大きな存在になってしまっている。この情報量の優位がアーティストの価値に直結してしまう時代環境の中では、従来のアートマネージメントの考え方も大きく変わらざるをえない。
 日本の美術館のコモンセンスとしては、図録をつくる出版社の意向や著作権の問題などもあって作品の写真は撮ってはいけないのが一般的だ。しかし、現在アメリカの多くの美術館やルーブル美術館のような大美術館では、撮影やネットヘのアップが解禁されている。大量のイメージが流通することが、かえって展覧会や作家のPR効果としてプラスになると考えられるようになったためだ。
 12~13年の森美術館での会田誠展の際には、撮影の問題をどうするかで大いに悩んだ。そのとき、チームラボの猪子寿之は「絶対撮らせるべきだ。これからはとにかくネットのソーシャルメディアで情報がたくさん共有される奴が残る」と、はっきり言っていた。
 確かに、ネットでのオープン化は大きな意味では積極的に進めるべき趨勢だ。しかし、ウォーホルやルーブル美術館の展示のような評価の確立した作家や作品ならともかく、現在進行形で無名の作家を売り出していく場合は、すべてをネットで情報提供するだけでは足りない。実際の作品に触れさせる導線になるようなかたちで、情報を上手に出す必要がある。ツイッターやフェイスブックなどで数多くの話題として登場させるような戦略的な機微が重要だ。
 会田誠展では、ひとまずは『考えない人』の作品だけ、撮影OKにするということを森美術館と協議して決めた。



P160~
 日本が東日本大震災の大災害にみまわれたあと、村上が工房的な集団制作の極致としてつくり上げた『五百羅漢図』(2007―2012年)もまた圧巻だ。あの大作が生み出された埼玉県三芳の工房には、美大生など多くのスタッフが投入され、いろいろな技術世界が結び合わされている。
 例えば技法面では、日本画出身の者たちには線を描かせ、洋画出身の者たちには塗りをやらせた。これは、岡倉天心が黒田清輝と戦い、その後断絶してしまった日本画と洋画を再統合しようという大胆な試みである。また、シルクスクリーンの技術も、非常に高いレベルに引き上げている。
 その上で、狩野一信の『五百羅漢図』をモチーフにしていながら、漫画的、アニメーション的なキャラクター表現を総動員している。とりわけ明治以降の日本の美術史に対して我々が持っていたトラウマのようなものを、もののみごとに昇華していると思う。
 制作過程は、村上隆による非常にストイックな指導のもとで行われたため、参加したスタッフが作品完成後に、みんな辞めてしまうほど厳しかったとも聞く。これには賛否両論あるだろうが、それほどの強い姿勢で臨んだ結果、確かに現代の宗教画と呼ぶにふさわしい鬼気迫る迫力が備わっているのは間違いない。カタールで展示された本作品を見たわたしは、「凄い、凄い、凄い」と、思わずツイッターで連投した。
 村上作品の表層だけを眺めて、好き嫌いを語るだけの批評に意味はない。バックグラウソドも踏まえた上で、なぜ世界が村上を認めたのか、その文脈を理解しなければならない。欧米には「何かアートであるか」を決定する厳しいアートワールドが存在するのだ。その中を生き抜き、評価されている村上の存在を無視し、村八分にする日本の美術村は了見が狭いとしか言いようがない。
 フランスのエマニュエル・ペロタンは、わたしに「村上隆の美術館をつくるのは、お前たち日本人の仕事だ」と話した。本当にその通りだと思っている。

会田誠の挑発と混沌
 村上隆の数年後に登場し、日本は敗戦国という出発点から徹底的に戦後日本の在り方をモチーフにしてきた作家として、二卵性双生児のような関係にあるのが会田誠だろう。
 二人は1990年代から大きく動き出した日本の現代アートを象徴する存在で、西洋美術の
文脈が支配する世界マーケットに対して、伝統と現代をハイブリッドさせた日本的な濃密さで勝負を挑むという点では共通しているが、その制作スタイルや戦い方は対極と言ってもいい。
 二人が同じく琳派なり、アニメ的なサブカルチャーなりの表現にインスパイアされ、自作に活かすとしても、まったく異なるアプローチになる。村上であれば、歴史的に評価されている表現様式を押さえて、それを海外の批評的な文脈の解読に巧みに乗るようなかたちにソフィスティケートするだろう。そして表層上はクールだったりカワイかったりするものに偽装しながら、本質的な毒を垣間見せるようなスタイルになる。
 これに対して会田の場合は、見る者の生理感覚に向けて、もっと直接的な表現をする。例えば『地獄草紙』の炎を使って、ニューヨークを爆撃で燃やしてしまうのだ。アメリカ文化やグローバリゼーションヘの批評が、さらにあからさまになる。会田は、人々が触れてほしくない、忌み嫌うようなものを確信的に露出して、ミクロな不快の回路を通して政治的な大きな問題につなげる作家であると自分を規定しているようだ。



P169~
 03年のオープン時の展覧会「ハピネス」で18禁部屋をつくったり、春画を並べたりしたこともある森美術館だからこそ可能だった展覧会と言えるだろう。そして過去のケースと同様、会田作品に対して女性団体などから抗議を受けたことが大きく報道された。しかし森美術館は、一切動じることなく会期をまっとうした。これは、私立美術館の強みであろうか。
 森美術館での個展の際、シンポジウムで前館長のデヴィッド・エリオットやバークレイ美術館ディレクターのローレンス・リンダーが、会田作品のコンセプチュアルな視点を解説した。欧米人の側からの目線に耐えられる強度の文脈が会田作品には存在するのだ。15年前から会田作品を愛し支持し、伝説化されたキュレーターのディエゴ・コルテスが森美術館の個展を見にきた。わたしは「会田作品のどこが好きなのか?」と訊ねた。ディエゴは「コンセプチュアルアートで会田ほど質的レベルが高い作品は世界にはほとんどない。絵や造形物をつくるのが苦手な連中がコンセプチュアルアートに走るのが世界の傾向だが、会田はハイレベルな絵画の表現技術と知性溢れるコンセプチュアルな思想が合体した希有な作家だ」と絶賛した。
 こうして、国内の大きな美術館での個展をやりきるという一つのハードルを突破したことで、会田は次のステージにさしかかった。月並みな認識ながら、これからはどういうかたちで彼が自分の文脈をインターナショナル化していくのかが、課題になっていくことだろう。



P258~
現代アートの底にある原初的な価値とは何か
 20世紀のアメリカを中心にしたモダュズムの形態とは違う、一見雑多でヴァナキュラーだが、奥底には現代的な普遍性を抱えた表現が、日本だけではなく21世紀の非西欧圈のアートでは同時多発的に開花してきているように思う。
 こうした認識は、今に始まるものではない。1980年代はじめにニューヨークのMOMAで開催された「プリミティビズムとモダニズム」という展覧会では、西洋のモダニズムのアートやデザインと、アフリカなどの先住民族たちのプリミティブアートを対置して、驚くほど両者が共通したものであることが、はっきりと示されている。と言うよりピカソやエルンスト、ミロらが、いかにプリミティブアートにインスパイアされた作品を制作していたかが一目瞭然なのだ。この展覧会のカタログを開くと、もはや素材が木でできているか鉄でできているかくらいの違いしか感じられない。フォルムがそっくりなのだ。このことには、わたしも非常にショックを受けた。哲学的な言葉で表現すればディファレンス(差異)こそ創作の原点なのかもしれない。
 この展覧会に対しては、当時「プリミティブな民芸品などの中から、モダンアートに似たものを集めてきただけではないか。その選定の視線自体が、そもそも西洋中心の植民地主義的なものだ」という批判もあったが、そうではないと思う。結局のところ、現代アートというのは人類史的な長い目で見れば、ルネサンスや近代写実主義などを経て形成されていった西欧の芸術が、一周まわってローマ帝国期にキリスト教化される以前の、ギリシャやケルトの神話的世界やアフリカの部族の自然への畏怖から造形された世界に回帰しようとしているだけのムーブメントなのではないか。
 実際、アフリカなどの非西欧のプリミティブアートだけでなく、シュルレアリスム期のジャコメッティの作品などは、古代イタリアのエトルリア文明の人形にそっくりだし、わたしがギリシャに旅したときにミコノス島の美術館で見た古代に描かれたイルカの絵も、現代のデザイナーたちが描くものとまったく変わらないことに驚かされた。
 つまりは、一神教的な価値観の肥大化や近代の合理主義の果てに自由な発想のできなくなった現代人が、はるかに想像力が豊かで著作権もない古代人の発想を拝借して、それを今風にアレンジしたりテクノロジーで素材を置き換えたりしているだけとも言えるだろう。
 一神教の原点である旧約聖書の中には、万物の創造主は神だと書いてある。つまり、人間というのは本質的に創造をすることができない。我々が芸術表現において創造だと信じている行為は、もとをただせば自然界にあったもの、神がつくったものとされるものを集めてリミックスして組み合わせ、他の何かに見立てながら最初とは違う状態にすることに過ぎない。しかし、リミックスにリミックスを重ねて、もとのものがわからないくらいに、人につくられたものが増えていくうち、そのことが忘れられてしまったのだ。
 とりわけ、教会が神の代理人を僣称するようになったり、その権威を覆して人間が誰もが神の代わりをしてもよいことになったりしたので、近代には「アーティストによるオリジナルな創造」という幻想が崇拝されるようになったというわけだ。
 その点、プリミティブアートをつくった古代人たちは、あれだけ豊かな見立ての発想力を持っていながら、何かをつくることが、あくまで自然に与えられたものの姿を変えるだけだと知っていた。だから人間のつくったものを特別視せず、そもそも自分たち自身が自然の一部であることを実感していたから、その無意識の構造の自然な流動に従うことで、ああいう造形を生み出すことができたのだろう。
 西洋文明はそうした無意識を抑圧して、言葉による理性をひたすら研ぎ澄ましながら自然を対象化し、自分の外にあるものとして合理主義的に空間を捉える写実表現のような技法を生み出してきた。そういうルールやコンテキストを徹底していく中で、今度はその意識による作為的な迫り方のまま、プリミティブな構造に無理矢理近づこうとしている。そう思うと、皮肉というか、なんだか迂遠な話だ。
 それが現代アートの本質だとするならば、むしろニューギュアの先住民たちの仮面を集めた方がいいのではないか、という気分にもなってくる。

21世紀のコンテキストをつくる日本アートの役割
 おそらく日本のアートの役割は、そうした人類芸術全体の多様性と普遍性の根源的な捉え直しの中で、非西洋のアニミズム的・多神教的な文化圏がゆるやかに共有してきた原理を明確化し、一神数的な原理に偏りすぎている西洋近現代文明の在り方を、真に中立的なものへと拡張していくことにあるのだと思う。
 幸いにして日本は、ユーラシア大陸東端の島国だったという地理的条件のおかげで、太古から中国、ョーロでハ、そしてアメリカと、世界史を牽引してきた巨大文明のどことも、つかず離れずの絶妙な距離感を築きながら、縄文以前からの“土人”としてのプリミティブな感性を、自分たちの表現の地層の底にかろうじて保持し続けることができた。
 その文明史的にも希有な立ち位置を感謝とともに自覚し、21世紀序盤の時点で何とか先進資本主義国の一角に残れている影響力を駆使しながら、いよいよわたしたちは上述の世界史的役割を果たしていくべき端緒についたのではないだろうか。
 西洋近代の列強の暴力的なプレッシャーが強すぎた明治維新以後の時代には、その役割に薄薄は気づきながらも、植民地競争で呑み込まれないように、文化よりも軍事力や経済力優先で自分たちを性急に西洋化するしかなかった。そして第二次世界大戦時には、西洋列強と同様、自分たちの一方的な防衛上の都合で朝鮮や中国などアジア諸国を侵略しておきながら、大東亜共栄圏なり八紘一宇なりといった後づけの世界観でアジアにおける日本の指導的役割を主張する、という過ちを犯してしまった。
 そのため、GHQの占領政策の影響もあって、アート関係者も含む戦後目本の進歩的なインテリ層の大方は、西洋に拮抗する日本の世界史的な役割をすこしでも肯定的に示そうとすると、ほとんど「羹に懲りて膾を吹く」かのように、やれ「内なるオリエンタリズム」だの「J回帰」だの「悪い場所」だのと、過剰な警戒を示すのが習い性になっている。長い日本文化史の中でも例外的な、極端な失敗の時代のトラウマと戦勝国へのコンプレックスにとらわれて、批評家たちは前向きな世界観を一切示せなくなってしまった。
 けれども、そうした外野の釘刺しのかいもあって、アーティストたちの側は、天皇をまるで一神教の絶対神のように変質させた皇国史観のような、根本部分を間違えた物語化に陥ることなく、八百万の神々への信仰を育んだ風土や伝統を、素のままに受け止めて現代的表現に活かすことができている。岡本太郎や村上隆や山口晃が見せてくれたのは、プリミティブアート的な感性をそのまま洗練・多様化させていった文化として日本美術の本質を捉え直していった、戦後のトラウマからの再生の系譜なのだ。
 桂離宮は、決してブルーノ・タウトが発見したのではなく、日本人が固有の美意識で構築していったものであり、足利将軍たちが贅の極みを尽くした東山文化も同様だ。琳派や浮世絵から漫画やアニメなどのポップカルチャーに至るまで、日本で培われてきたコンテキストには、もともと欧米に負けない歴史的蓄積と幅の広さがある。だから日本でつくられた作品が、世界性を持つのは当然だ。
 確かに現代アートの世界で、圧倒的に大きなマーケットを握るのは欧米である。したがって、向こうのコンテキストに乗ることはとても重要である。その一方で、欧米のコンテキストに突き刺さるだけではなく、我々が持っている、日本白身に突き刺さるヴァナキュラーな固有のコンテキスト自体を世界化していくことが、長期的にはもっと重要だ。そのことをわきまえず、ただ日本のアートは世界に通用しない、と十年一日のように嘆くのは笑止だ。
 アートは自由で、もっと多様性があっていいはずだ。ドメスティックとか、ローカルとか、ヴァナキュラーと言われているものが、もっと世界性を獲得しても不思議ではない。そういう多様な文化的表現ができる作家たちが、たまたまミヅマギャラリーに集まり、そして国内外で高く評価されるようになってきた。

▲:長々引用したのは、大昔の学生左翼活動家のイカれた理論のまま、現代美術を語っている滑稽さを学ぶため。こんな底の浅い文明文化の理解で……いや、こんな底の浅い理解だからこそ、あんなゴミを売り込む「理論的武装」ができる、ということなのだろう。







アナルミラーツバセックス大泉洋の快挙

http://www.nikkansports.com/entertainment/news/1630271.html
大泉洋が快挙、3大ファンタスティック映画祭で受賞
[2016年4月11日22時47分]
 俳優大泉洋(42)が11日、東京都内で主演映画「アイアムアヒーロー」(23日公開、佐藤信介監督)公開を前に、外国特派員協会主催の会見に出席した。
 10日にはベルギーで閉幕したブリュッセル・ファンタスティック映画祭で、グランプリにあたるゴールデン・レイブン賞を受賞したばかりで、大泉はさっそく喜びを口にした。「この映画を初めて見たときに、世界に通用する映画だと思った。ブリュッセルでも賞を取れると思っていた。朝の4時に聞いたんですけど、取れると思っていた分、ハラハラしながら待っていた」。自信満々な姿がこっけいに映ったのか、出席者からクスクスと笑いが漏れていた。
 ブリュッセルは3月にイスラム国によるテロ事件が起きたばかり。「ブリュッセルという街は悲しい出来事があって、映画祭の開催自体も危ぶまれた。そんな中で、映画祭をやってくれた勇気に敬意を表します。開催してくれて、賞をいただけたこともありがたい」と感謝した。
 作品はシッチェス(スペイン)、ポルト(ポルトガル)の両ファンタスティック映画祭でも、ともに観客賞などを受賞。世界3大ファンタスティック映画祭すべてでトロフィーを受賞する快挙を達成した。
 撮影の苦労話を聞かれると、大泉は佐藤監督の撮影時間の長さを挙げた。「穏やかな顔をしているけど、監督は頑固な人。妥協を許さない。無数のカットを撮らなくてはいけなくて、撮影時間も膨大にかかった。どんどん夜が遅くなっていく。なかなか寝られない。それでも監督はやめてくれない。さらに、監督と仲のいいカメラマンが、『こんなカットはどうだ?』と言ってくる。延々と終わらない」。隣で佐藤監督が苦笑いする中、ジョークを交えて恨み節をこぼした。
 撮影は韓国でも行われた。両国の国民性の違いを問われると、大泉は「日本人は昼ご飯を我慢して、キリのいいところまで撮る。向こうの人は、ご飯の時間が過ぎると怒ってました。僕は韓国の人の方が正しいと思う」と持論を展開していた。

▲:ということで、今後の撮影はすべて韓国でやるといいよ、アナルミラーツバ大泉。


2016年4月10日日曜日

必見展覧会 ルノワール展



 昔、オルセーに行って、初めて『陽光の中の裸婦』を見たときはびっくりしたものである。
 美術全集の図版と、実物の絵画は、まったく異なるということを嫌というほど知らされた。
 太陽のハガキ大の写真を見るのと、実際の太陽の光の中に立って太陽を見上げるのと同じくらいの、それは差がある。
 本物の『陽光の中の裸婦』を日本にいながらにして見ることができるというのなら、万難を排して見に行かなければならない。
 でも、ゴールデンウィーク中は「芋洗い展覧会」になっていることだろうなぁ。



子宮頸がんワクチン 桜木範明(52期)



 この期に及んでまでワクチンを勧めているのが、北大教授の桜木範明。
 で、ワクチンを打って中枢神経を侵されて日常生活ができなくなるどころか、24時間365日痛みと震えに苦しむようになったとしても、桜木範明が責任を取ってくれるわけではない。
 もちろん、ワクチンを売っているグラクソスミスクラインとかメルクとかいった巨大製薬会社が責任を取ってくれるわけでもない。
 ワクチンを打つ前に、このワクチンを打った場合、どんな悲惨な状況になる「可能性」があるかどうか、被害者のビデオを見せるといい。それでも、打つという人は自由だし、打たないという人もまた自由である。問題なのは、あたかもその副作用が「心因性」だとか「治癒可能」といった、なんの科学的根拠もない「セールストーク」に乗っている医者が大勢いるということ。
 薬害エイズのときと殆ど同じパターンである。

 こことか。
http://togetter.com/li/958027

▲:「ガン予防ワクチン」と「感染症予防ワクチン」を、意図的に(?)同列に扱って素人を(?)騙そうとする愚劣な医者たち。